2013年7月20日土曜日

少年の真意を探るという意図も込められている。3-2.

3-2.少年の真意を探るという意図も込められている。

「お、哲学的だねぇ。お姉さん、そういうの好きよ。」

「同い年。」

「そうでした。」

お姉さんて。

「そのさ。先ず、幽霊として出てくるってことがありえないんだけど。でもさ、何も変わってないよ?いや、そら生きてた時は浮いたりしないけどさ。全然、普通に喋っているじゃん。むしろ、前よりも全然、喋っているじゃん。その、人が死んだ実感てさ、なんというか……。」

「じゃあ、今、私が話しかけるのは迷惑だった?」

幽霊の少女は、少しだけ声のトーンを落とし、申し訳なさのニュアンスを付加させた。だが、そこには少年の真意を探るという意図も込められているようだ。

「……。」

しばらく沈黙が続くようである。『哲学』なんて言葉が出ていたが、興味深い問題ではある。少し考えてみるが、次の言葉まで読み飛ばしても何の問題もない。

死とは何なのか?それは勿論、生物という意味で考えた時は生命活動が停止した……ということである。しかし、例えば、とある大学(たしか同志社大学)で研究されていることだが、生前に音声を録音しておき、また、映像なども残しておき、死後にデジタルモデルの姿で合成音声で故人が話すという仕組みが開発されている。それは、残された伴侶や家族のためではある。残された家族が高齢者であるなら、日々の中の、擬似的ではあるがコミュニケーションを保つという意味合いもある。

それが現在の科学技術の到達レベルだが、もしも遠い未来に。肉体の死の後に、機械の身体、もしくは培養合成された第二の身体に乗り換え、なんらかの電子的な技術で、人間の意識、精神、心までも連続させることができるとするならば、肉体の死とは『死』となりうるのか?

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